川西中学校 沿革
これまでの歩み
川西中学校は、昭和22年、栄根の地で川西町立川西中学校として産声を上げ、戦後の歴史とともに歩み続けてきました。
開校当初は大塚山の木々の緑に覆われた「山の学校」と親しまれ、学舎からの景観は、校歌にあるように猪名川のせせらぎが聞こえてくるようなのどかなものでした。町立から市立に変わり、生徒数の増加に伴い川西中から川西南中へ、その後、明峰中学校へと校区が変遷していきました。
現在は、学校周辺は閑静な住宅地に開発され、街角から子どもたちの声が響く丘に変貌しました。特に川西市の中心地ある川西中学校区は、その変貌が著しく、この半世はそのまま戦災の焼け跡から芽吹く緑や川西の発展と都市化に歩調を合わせたものでした。
今、2万2千人もの卒業生の皆さんは、さまざまな思いを胸に、社会のいたる所で幸せを求めるべく生業を立て、各方面でご活躍されています。
「代わりが次に渡す」。連続した毎日を積み重ねて今の本校があります。私たち教職員は、明日を担う伸びゆく生徒たちが希望や夢をもって自立できるよう導いていくため、未来につながる今を大事にして参ります。