1年生、数学が少人数クラスで授業を行っています。今日のクラスは2名の先生で授業を進めています。先生と生徒の数の差が小さくなるほど、学習が苦手な子どもたちに対するきめ細やかな指導が可能になることは言うまでもありません。いつか中学校にも35人学級が認められる日がくればと思います。
「教える」「教えられる」その双方の関係は誰しもが経験してきたもの、しているものです。人として生まれても、教育がなされなければ「内的な自己」のみで生きることになり「社会的な個人」の育成はなされません。
「奇跡の人」という映画を知っていますか。三重苦(見えない・聞こえない・話せない)を幼児時代に背負い、文化や教育から遠い野生ともいえる生き方をしていた少女(ヘレンケラー)がサリヴァン先生に出会い、今まで手にしていた冷たいものが、指文字で「water」と教えられ、すべてのものに名があること気づき、すべてのものが輝き始めた・・というような内容です。「内的な自己」だけでなく「社会的な個人」が育っていく過程を映し出しています。このよう奇跡は1対1の関係だからできたのかもしれません。
今日の教室で授業をしていた先生もかっては教えられる側の子どもであり、先生になってからも多くのものから学ぶ存在でもあります。中学生のみんなも、わからない人に教えてあげる時は「先生」です。「教え」「教えられる」という関係は学校を出ても一生続くものなのです。
「我以外 皆教師 しかし 我も教師足り得る」