2年生クラスの廊下窓に風紀委員会で作成した「不用物持ち込み禁止」の啓発ポスターが貼ってあります。学校内では使用する必要のないものです。スマホ・携帯・ゲーム・現金・お菓子・・挙げればきりがありません。学業に必要なもの以外は不用ということです。中学生ですから何が不用物かは自分で判断できます。判断できても持ち込むようでは「自律」できていないということになります。
私たちの身の回り、家の中、・・ショッピングセンター・・世の中、「モノ」の種類やその量は不足という言葉がないかの如く溢れかえっています。TVは新製品を次から次へと消費者になるであろう視聴者へ繰り返し流し続けています。「モノ」だけでなく情報という実態のつかみにくいものも同様に溢れかえっています。そんな中で私たちは生活をしています。
多田中、グランド周辺の桜はすでに紅葉も終わりに近づきその葉を落としています。校務員さんが周辺道路上の落ち葉の処理に汗しておられます。桜の落ち葉は不用なものとしか人は見ないのです。春ともなれば、「桜の花見」などと桜を愛でる人も、その後、虫かついたり、落ち葉となれば笑顔で接することができません。人は自然に対して身勝手なものです。
「断捨離」という言葉が生まれ、一時話題になりました。中学生の皆さん、今あなたの身の回りにあるものはすべて必要なものですか。一度、見直してみるのもいいかもしれません。「モノ」は断捨離できても、自分の「思い」はなかなかそうはできません。
「放てば 満てり」 どんな意味でしょうか。