昭和22年頃の多田中学校
昭和27年頃の多田中学校
江戸っ子は意気地がないといわれるのは残念だ。宿直をして洟垂れ小僧にからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ。
夏目漱石「坊ちゃん」より
武士のおこり、清和源氏の祖、源満仲を祭る多田神社があり、夏目漱石の「坊ちゃん」にも、その地名が登場し、信長も鷹狩りにやってきた多田の地に、本校は戦後間もない昭和22年、多田村立の新制中学として開校いたしました。
その後、半世紀以上を経て、卒業生12,000名以上が、各界で活躍しています。現在は、生徒数604名、18学級(1年5学級、2年5学級、3年6学級、特別支援学級2学級)の模校となっています。
猪名川の清流。点在する農地。多田神社を中心とした昔からの街。能勢電鉄沿線の商工業地域。北部の計画的開発住宅地区。次々と建築される分譲住宅。校区は、豊かな自然を残しながら多様性のある変化に富んだものになってきています。校区そのものに、人が育つための大切な条件が用意されています。
校歌
作詞:北里 蘭 作曲:馬渡 覧
一
たてよ若竹 知識の苑に
緑風あかるく 枝高々と
史跡の光 節々に
多田の薫育 深く根強く
ああ 我らの 多田中学
二
伸びよ若松 理想の空に
学風あまねく 視野宏々と
史跡の教 心身に
多田の清流 長くたふとく
ああ 我らの 多田中学
校章
校章の由来
その昔、鼓が滝が開発され、多数の田畑が作られました。
そのことから多田地名が生まれました。そして、その田畑に人間にとって、一番大切である稲(息の根)を作ったことから、稲穂を多田中学校の校章としました。