給食が始まって10日目を迎えます。
ある学級の学級通信に目が留まり
ました。
たくさんの方が関わり、給食は私
たちの手元に届きます。
「感謝」という言葉はありきたり
ですが、私も家でコメを作ってい
ますので、一つの生産物を作るま
での苦労は計り知れません。また、
給食を作るためにセンターでどれ
だけの人が頑張っているか・・・
そんな思いを代弁してくれる学級
通信でしたのでご紹介します。
3年生 学級通信より
「先日、3年〇組の担任にとってとても嬉しいことがありました。それは2学期からはじまった給食で、3年〇組給食界の大谷翔平とも言える人物の投打に渡る活躍もあって、初めてクラスとして完食ができたことです。少し歩けばファーストフード店が多くあり、電話一本で美味しいお店の食事を配達してもらうことができ、コンビニで様々な地域のご飯を食べることができるこの現代。そんな食に溢れた現代で、食事というのは“生きるため”というよりかは“食事を楽しむ・味わう”といった側面が強いかもしれせません。しかし、そんな時代だからこそ、担任として伝えたいことがあります。
先生が明峰中学校に来る前に勤めていた学校では、自校方式(給食を作る場所が学校の敷地内に設置されている)で給食が提供されており、その関係で先生自身も給食に関わる業務に携わっていました。そこでは調理員さんや栄養士さんが、生徒のために日々の献立に頭を悩ませ、苦心しながら食材を調達・調理されていました。
例えば、給食は非常に大量の食材を扱うため食材一つひとつの単価が少し変わるだけでも大きく影響します。そのため、単価を何百円・何十円ではなく、何銭(1円より小さい単位)単位!で計算されていました。また、何銭という計算をしても予算というのは限られており、その限られたお金のなかでも、生徒たちに「できる限り国産のものを!地産地消を!」「冷凍ではなく生物で・その季節に応じた旬の食材を!」と並々ならぬ熱意と行動力で食材を選ばれていました。調理方法も、その食材に適した調理方法というだけでなく、生徒たちが食べやすい調理を。味付けも、素材の味を味わうことができつつ、今の子供にも美味しく感じる調味料を使い、分量を考えられていました。その上、季節の行事ごとに給食から季節を感じることができるようにデザートを出す等、工夫されていました。
また、先生の実家は農家で、お米を作ったりするだけではなくビニールハウスを使ったりして野菜を栽培・販売も行っています。お米・野菜を作るというのは文字通り“言うのは易し、行うのは難し。”で、途方もない労力と時間がかかります。ビニールハウス栽培だけでも温度・湿度管理、害虫駆除、水やり、農薬散布、収穫に梱包、出荷など言い出したらきりがありません。
ここまで話をしましたが、給食が3年2組の皆さんに届くまでには様々な方々(生産・調理・運送・配膳等)の熱意と協力・尽力があってこそであり、“あたたかい”食事を食べることができるのはとてもありがたいことだと先生は思います。
とは言うものの、それは先生自身が生産や調達・調理・提供をする側を経験したからこそ、知ったり・理解したりすることができた部分であると思います。それでも3年2組の皆さんには、この日々の給食に感謝の思いを持ってほしいと願います。毎日、「野菜を作ってくれてありがとう。」ということを思いなさい。という大仰なことではありません。
毎日のあたたかく美味しい給食を3年〇組の一人ひとりが、自分の給食を残さず食べる
これを大事にしてほしいと思います。何でも食べろ!お残しは許しまへんで~!ということではありません。誰だって好き嫌いはあります。その日の体調の良し悪しもあります。この時期特有?恥ずかしさもあるかもしれません。先生も前の学校で、たくさん食べすぎて7kgも太ってしまいました。
それでも、自分が食べ切れる。と思った量は食べてほしいのです。それは強制ではありません。ただ、やはり生産・調理した方達は自分が携わり作った食材・料理は美味しく、残さず食べて欲しいと願っていますし、実際、先生自身はそのように教わって育ってきました。
食材を・給食を作ってくださった方への感謝の気持ちを伝える一番の行為。それは空の器や容器を返すこと・残さず食べることだと思います。これから卒業まで給食は続きますが、そういった思いを忘れず、コロナ禍で色々と制限された中ではありますが、給食を美味しく、残さず食べてほしいです。偉ぶるわけではありませんが、食材に感謝し、残さずに食べる。当たり前のようで実は難しいこと。それを意識・無意識にかかわらず、皆さんにはできるようになってほしいと思います。その意識で1人ひとりが食事をしていけば、クラスとしての完食をできる日が多くなっていくことでしょう。写真のように残食がない・少ない日が1日でも多い日を担任として願い、この学級通信とさせてもらいます。